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19歳で体験した母親の看病と死。24歳の頃「看護の仕事を一度やってみよう」と決意

准看護師
川井田 克彦

 私が看護の仕事についたのは、母親を亡くしたことがきっかけでした。当時、私は19歳で、高校を卒業した後に飲食業界に身を置いていました。母親は昔から体が丈夫ではなく私が小さい頃にも入院をしていた記憶があります。それでも働きながら私たち4人の子どもを育ててくれていました。しかし、50代になり再発がわかったときはすでに「余命1年」というところまで来ていました。私は仕事が忙しくなかなか見舞いもできませんでしたが、最後の数か月はホスピスに転院したので母を訪ねることができました。そのときに看護の仕事を初めて間近で見ました。看護師さんは母親の細かな変化に気づいてくれて、お別れのときは他人である私の母親のために涙を流してくれました。そんなことができる仕事を「かっこいいな」と思って看護師の仕事に興味をもちました。それから数年、飲食の仕事を続けましたが、24歳の頃「看護の仕事を一度やってみよう」と思い、看護助手として働きはじめました。そこで働きながら看護専門学校に通いました。平日は週に4日朝から夕方まで学校に行き、16時から19時まで病院で働く。土日もどちらか1日は病院で働くという生活。なかなかハードな毎日でしたが4年掛けて准看護師の資格を手に入れました。

できない自分に嫌気がさしている時も、見守ってくれる先輩たちが引き出してくれたやる気

 資格取得後に入職したのが吉川病院です。療養が中心の病院ですが、私が配属されたのはその中でも医療行為の少ない病棟でした。それでも仕事に就くと悪戦苦闘の連続でした。看護助手としての経験はありましたが、看護師の仕事はそれまでとはまったく違いました。なんといっても責任の重さが助手とは桁違いです。スキルも経験もまだない私は「何て難しくて、大変な仕事なんだ」と改めて思いました。続けていくことができるだろうかと不安になり、やっていく自信がなくなったこともありました。それでも続けていこうと立ち直れたのは看護師長さんや周りの先輩方のおかげです。私ができない自分に嫌気がさして、自分には何もできていないと思っていた時も、みなさんが声を掛けてくれました。なんというか“人にやる気を起こさせる言葉”をよく知っておられるのです。私はどちらかと言えば「頼りにしてるよ」とか「よくできているよ」といった励ましをもらうとやる気が出るタイプで、逆にガツンを叱られるとシュンとなってしまうところがあります。そういう私の「扱い方」をよく知っておられるんだと思います。
 年末年始、当院で新型コロナのクラスターが発生し、その病棟での対応を経験しました。経験もない上に夜勤もある病棟です。クタクタになりながらもなんとかギリギリの状態で私は仕事を続けていました。あるとき先輩が私の顔色や様子を見て「大丈夫?」と声を掛けてくれて、私の上司に連絡をしてくれました。その方は私の異動後1か月ずっと私の様子を気に掛けてくれて体調なども聞いてくれていました。そして私の変化に気づいてくれたのです。この病院にはベテラン看護師さんがたくさんいます。32歳の私でもここでは若手ですからみなさんが息子のように見守ってくれている気がします。

観察のポイントを理解して、焦らずに落ち着いて根拠のある判断をしていきたい

 3年目を迎えた今、大切にしていることは「焦らずに落ち着いてやる」ということ。2年の経験を積んだことで「観察力」「判断力」が付いた気がします。新人の頃は患者さんからの訴えや、求められることばかりに目がいっていましたが、先輩たちを見ていると体全体の変化を細かく見ているのですね。「なるほど、そんなところも関連して見るのか!」と観察のポイントがわかってきました。すると根拠をもって判断できます。それでも、いろんなことが同時に起こると慌ててしまうことがあります。そんな時も「落ち着いて、落ち着いて」と自分に言い聞かせながら確実な仕事を心掛けています。