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「世の中の役に立てるのならば」と自分の将来の姿が思い浮かび看護師の道へ

看護師 田辺和子

 高校時代、進学先を決めるときに「自分は何がしたいのか」で迷いました。そのとき「女性として手に職を付けるのはいいことよ」と母の知り合いの看護師さんを紹介されました。直接電話をして話を聞いてみて「世の中の役に立てるのならば」と看護師の仕事に興味を持ちました。進学校だったので大学に進学する人が多かったのですが、大学に進むよりも、看護学校に進んで看護師になるほうが自分の将来の姿が思い浮かんだのです。そこで広島大学医学部附属看護学校に進学しました。実際に進学してみるとそれまで医学の知識がまったくなかったので実習などは厳しく感じました。もともと子どもが好きだったので助産師になることも考えましたが、実際の分娩を見るとその度胸もないとわかり、看護師として患者さんと接していこうと思いました。

大学病院勤務を経て、子育てと全国転勤、クリニックでのパート勤務など経験

 新卒で大学病院に就職。眼科と泌尿器の混合病棟に配属されました。大学病院ですから研究や研修に積極的に参加することが求められます。患者さんとじっくり向かい合いながら看護することをイメージしていましたが、服薬などでもルールがしっかり決められており患者さんの希望に応えられないこともありました。「どうしようもないんだ」という葛藤もありました。今でも「なんとかできなかったのか」と悔やまれることもあります。5年間勤務して結婚を機に退職しました。夫の転勤にともなって3人の子育てをしながら広島、大阪(2回)、東京、兵庫と全国で過ごしました。いちばん下の子が5歳になったころからパートで整形外科のクリニックで働き始めました。大学病院とは違う小さな組織の難しさ、経営的な厳しさがあることも知りました。その後、三田市に移りパートで総合病院の外来を経験しました。外来は患者さんに対応することで精いっぱいで毎日が過ぎていくという感じでした。地元で評判の良かった吉川病院とご縁がありました。初めて来たときにアットホームな感じがして「ここはいいな」と思いました。そして正職員として勤めることになりそれから20年、現在に至ります。

管理職の経験も活かしながら、若い人の模範になるよう看護の原点を大切にしたい

 こちらは療養型病院なので、「ご自宅に帰ることができない」「コミュニケーションをとることが難しい」「慢性疾患を治療している」患者さんが多いです。だからこそ、こちらが積極的にかかわりながらご本人の持つ力が落ちないように、または引き出せるようにしたいと考えています。長年、看護に携わってきました。管理職の経験もあります。患者さんの高齢化や認知症の増加などもあり、看護の形は変わってきています。しかし看護の心は変わりません。看護師は一生働ける仕事です。職場からも、患者さんからも求められる限り、若い人の模範となるように勉強をしながらがんばっていきたいと思っています。