介護福祉士 永岡彩未
福岡県の出身で、もともとは保険会社や飲食業で接客の仕事などをしていました。結婚で吉川に来て、しばらくはコンビニでパートをしていました。子どもが生まれ、同居の義母から「吉川病院なら託児所があるよ」と聞いて何かスタッフの仕事はないかなと思いました。すると知り合いが看護部長を紹介してくれたのです。面接を受けてみると「看護助手として病棟で働いてみませんか」と言われました。私は看護の資格もないし、医療関係の知り合いもいないし、関連の仕事をしたこともないので不安で仕方ありませんでした。でも「3か月だけがんばってみよう」と思い飛び込んでみました。入ってみると看護の前に周りの早口の関西弁がまず聞き取れませんでした。そのうえ看護の専門用語もわからないので、最初は外国語を聞いているような感じでした。メモを取ろうとしても聞いたことのない言葉、たとえば「テキベン」などは漢字も意味もピンときません。そんなときはリーダーがていねいに教えてくれたり、「申し送りノート」を後から見て確認したりしました。看護助手の仕事は、食事介助、体位変換の補助やおむつ交換、清拭、そして看護師さんのアシスタント業務です。教えてもらったり、自分で調べたりして一生懸命やりました。あっという間の3か月でした。そのとき「もっと続けたい」と思う自分がいました。
自分の経験からも「患者さんにもご家族にも安心して帰ってもらいたい」
私は結婚前に母を亡くしました。入院したときはすでに余命3か月でした。そのとき、お見舞いで何度も病院を訪れましたが、正直に言えばお見舞いのときに病院のスタッフと話しにくかったのです。自分が病院で働きだして思ったのは「患者さんやご家族にあんな思いはしてほしくない」ということでした。認知症や寝たきりの患者さんも多くおられますが、毎日のあいさつや声かけを大切にしています。とくに自分から声を出せない患者さんには積極的に声を掛けるようにしています。またご家族には患者さんの様子を話したりします。せっかくお見舞いに来てもらったのですから安心して帰ってもらいたいのです。今だったら、あのときの母にもう少しなにかできるような気がします。
子育て世代が安心して働けるように、応援やサポートをしていきたい
4年前、病棟の異動をきっかけに助手をしながら介護福祉士の資格を取得しました。勉強をすることで「自分が知らなかったことがいかに多いか」を知り、合格したことで自信がつきました。学んだ知識を活かしてこれからも続けていこうという気持ちになりました。こちらで働き始めたのが一人目の子どもが生まれた後の9年前。それから2人の子どもを産んで今3人の子どもを働きながら育てています。下の子はまだ9か月なので発熱などで休むこともありますが、みんながカバーしてくれています。託児所があることももちろんですが、子育て世代が働きやすいようにみんなが理解をしてくれて働きやすい環境をつくってくれています。今、吉川病院は若い人たちの出産ラッシュ。これまで助けてもらっていた私も、今度は子育て世代の応援をしていきたいと思っています。