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人見知りの強い自分を変えたくて、働きながら看護師になる道を選んだ

看護師 大西由子

 兵庫県の過疎の進む田舎で育った私は、子どものころから人見知りが強くそんな自分がいやでした。高校を卒業するにあたり「自分を変えられるように人と接する仕事がしたい」と思いました。すると学校でたまたま「働きながら准看護師の資格が取れる」という求人を見つけました。そのときなぜかピンときて応募し、京都市にある病院に就職することになりました。昼間は働きながら夜は医師会の看護学校に通いました。毎日の生活はたいへんでしたがいっしょに寮生活をした6人で支え合ってがんばりました。そして2年後に准看護師の資格を取得することができました。私は自分がやりたいと思ったら突っ走るところがあります。今度は看護師資格をとろうと、働きながら看護学校に通える神戸市の総合病院に転職しました。配属されたのは外科病棟。患者さんとゆっくり接することができる内科のほうが自分には向いているなと感じました。それでもがんばって3年後に看護師資格を取得できました。高校卒業からつらいことも挫折したこともありました。「もうこのまま看護師はあきらめて故郷に帰ろう」と思ったことも一度ではありません。それでもあきらめないで良かった。このときの経験があるから今の自分があると思います。

グループホームでの仕事を経験して自分のやりたい看護に気がついた

 神戸の総合病院には9年間勤務しました。看護師の国家資格受験の年には阪神淡路大震災も経験しました。その後、震災の影響もあり病院が移転することや結婚をきっかけに私は退職をして、神戸市北区に引っ越しました。そこでクリニックや老健施設などに勤めた後にグループホームでの仕事をしました。そこには重症患者さんや認知症の方がたくさんおられました。一人ひとりに真正面からかかわるという看護をそのとき経験しました。感情をそのままぶつけてこられたときは「えっ、そこまで私に頼ってくるの?!」と戸惑ったこともありましたが、本音でそこまで話してくれるのは私を信頼してくれているからだと気づけたのはとてもいい経験でした。人見知りを克服したいと思っていた私がこうして深く人とかかわることができるようになったのです。グループホームでの仕事は私の看護における転機だったかもしれません。

阪神淡路大震災のときに無力だった私。地域に貢献できるような看護をしたい

 吉川病院に来てからもグループホームでの経験が活かされています。多忙ですが時間を見つけては一人ひとりのベッドサイドに行って話をしたり表情を見たりしています。言葉が通じない患者さんでも「来てくれたんだ」という安心感が表情に出るんですよ。私はおじいちゃん、おばあちゃんっ子だったので、ご高齢の方のそういうお顔を見るのがうれしいです。日本各地で災害のニュースを見ると居ても立ってもいられない思いになります。阪神淡路大震災のときは看護師としては未熟で何もできませんでしたが、今ならお役に立てると思います。だから今は災害ナースに関心をもっています。ここまで私が看護師としてがんばれた原動力は、出会った患者さんたちの笑顔や「ありがとう」の言葉です。その恩返しをこれからは地域に貢献していきたいと思っています。