介護福祉士 柴田弘志
両親が共働きだったので、おばあちゃんに育ててもらったいわゆる「おばあちゃん子」でした。そのおばあちゃんが地域の公民館や施設で編み物、パッチワークなど手芸教室の先生をしていて、いつもその教室にいたので生徒さんのおじいちゃん、おばあちゃんに遊んでもらっていました。
高校生になってからは近くの高齢者施設の夏祭りなどではボランティアをしていました。だから進路を考えるにあたっても自然と福祉の仕事が思い浮かびました。スーツを着て営業している姿よりも施設で働く自分の姿のほうがイメージしやすかったんです。担任や進路指導の先生に相談すると福祉専門学校への進学を勧められました。友だちにそう言うと最初は「3Kの仕事やないか」「たいへんそうやな」と言われましたが、私にはまったく抵抗がなかったのです。私がおばあちゃん子であったことや私の性格を知っていたからでしょう、次第に周囲も応援してくれるようになりました。
「利用者さんは、なんのために来てくれているのだろう」の気づきから「柴トレ」をスタート
新卒で介護福祉士の資格を取って吉川病院に就職しデイケアに配属されました。覚えることがいっぱいありましたが、思っていたとおりの仕事でした。そこには学生時代の介護実習でお世話になった1つ上の先輩がおられていろいろ助けてもらいました。今でこそ男性介護士は増えましたが、当時男性は私たち2人だけでした。4年目にデイサービスに異動になりました。まもなく現場リーダーという役職にも就きました。自分に何ができるかなと思ったときに「利用者さんは、なんのためにデイサービスに来ているのだろう?」という原点に立ち返り考えました。それまでは「楽しんで笑って帰ってもらえればいい」くらいに思っていたのですが、「みなさんは身と心を良くしたいと思っているから来ているのだ」と気づきました。では具体的に何ができるかと考えたときに、機能訓練士が行う範囲以外のトレーニングを実施できないかと思い「筋肉トレーニングインストラクター」という資格をとりました。そして自分でも「パーソナルトレーニング」に通ってどのようにアレンジすればデイサービス、デイケアで使えるだろうかと考えました。それを月に1回、1回6名で1日に4組に実施することができました。これが好評で、その後に私はデイケアに再び異動になりましたが、デイケアでも同様に実施しました。発案者の私の名前からこのプログラムは「柴トレ」と呼ばれるようになり定着したのです。車イス利用者や片麻痺の人に参加できるので多くの人に「次回が楽しみ」と言っていただいています。
「柴トレ」を「柴ジム」に発展させるのが今の目標
デイケアに通っておられる利用者さんには、機能訓練士さんのトレーニングとの相乗効果が出るように「柴トレ」を発展させて「柴ジム」のような環境にできないかと今は考えています。それによって自分が気づきを得た「身と心をよくする」サービスを提供することにより近づけるのではないかと思うからです。
子どものころから当たり前のように触れ合っていた「おじいちゃん、おばあちゃん」に喜んでもらいながら仕事ができるので毎日がとても楽しいです。