介護福祉士 片岡美智代
20年ほど前になりますが2児の子育て中のときに友だちから、お母さんが働く病院の仕事を紹介されたことがありました。でもそのころは介護の仕事にはまったく興味がなかったので断りました。介護の仕事は「きつい、汚い、危険」の3Kのイメージがあったからです。でも3人目が生まれてから働こうと思ったときに「吉川病院には保育所があるよ」と夫が教えてくれました。「たしかにそれなら子どもを預けながら働けるな」と思いました。しかも吉川病院は私の実家のすぐ近くで昔からよく知っていました。ちょうど看護助手の募集をしていたので面接を受けに行ったらびっくり。看護部長さんが私の友だちのお母さんだったのです。「あの近所のおばちゃんが看護部長だなんて」と驚きました。でも昔からよく知っている病院でもありご縁を感じたのと親切にしてもらったので「やってみようか」と思ってこの仕事に飛び込みました。
介護福祉士の資格取得で、それまでよりもさらに介護の視野が広がった
病院の保育所に子どもを預けながら病棟の看護助手として5年ほど働いたころ、一番下の子どもが小学校に入学したのをきっかけにヘルパー2級の資格を取りました。そのころには介護の仕事に抱いていた3Kのイメージはなくなっていました。それよりも人生の先輩方のお話を聞くことや、お世話をさせていただくことが楽しいし「自分には合っているなぁ」と感じるようになっていました。
資格についてはあまり興味なかったのですが、看護部長さんから「介護福祉士の資格を取ってみたら?」と勧められました。「同じ働くなら資格を持っていたほうが認められるな」と思って受験しようと決めました。病院で働きはじめて10年以上経っていたので、それなりの実務経験と知識もあったつもりだったので独学で受験勉強を始めました。家に帰って家事を済ませてからの勉強はたいへんでした。2回目のチャレンジで合格することができました。資格の勉強をしたことでそれまで知らなかった法律や医療の知識を得ることができましたし、世の中の医療のニュースにも関心がもてるようになりました。また医師や看護師の会話の内容も以前よりよくわかるようになりました。いっぽうで認知症の患者さんのことは本に書いてあることよりも現実は複雑でむずかしいと実感しています。
「外国人技能実習指導員」となり、言葉の壁を越えて育成に携わっていきたい
資格を取ったことで仕事への自信がついたと同時に後輩の育成についても考えるようになりました。介護の仕事はやはり体力も使います。自分が最前線で働けないときがくるかもしれません。現場仕事だけでなく介護の教育にも携わっていきたいと思うようになりました。
吉川病院は現在モンゴル、ネパール、ミャンマーから技能実習生を迎えています。彼らへの指導ができるように「外国人技能実習指導員」の講習を受けてその指導にあたっています。その範囲は、技能面での指導はもちろん初めて日本に来て働く人もいますから生活面やスタッフや患者さんとのかかわり方まで及びます。彼らは日本語も標準語はある程度習得していますが、このあたりの方言(播州弁)がわからないことも多いのでいろいろ工夫しながら伝えています。昔の教育は「見て覚えよ」でしたが、今はそうはいきません。相手の良いところを見つけて褒める。それを伝えると相手もニコッと笑ってだんだん積極的に質問をしてくるようになります。やはり言葉の壁を越えた人間同士の関係構築が大切なのだと感じています。