皆さん、こんにちは。病棟看護師として働いている吉田です。
吉川病院は、医療療養型病院で、入院患者さんの90%以上が高齢者です。高齢者との出会いは、心が豊かになります。そんな出会いを感謝の気持ちでつぶやいていきます。
miyokoさんは、腰痛と肝機能障害で入院してきました。既往歴に顔面神経麻痺があり、顔の半分が下垂していて恥ずかしがっていました。
要介護の夫と娘さんの3人暮らしで、娘さんとは東京弁でよく口喧嘩をしていました。
彼女は、歯科・皮膚科受診を希望し、頻回に娘さんへの連絡を依頼してましたが、娘さんは父親の介護で多忙なので、すぐには受け入れてもらえず、イライラも増していくのです。
そんな時私は、ベッドサイドに椅子を置き、彼女の希望を聴き、娘さんへの不満を聴き、顔の羞恥心を聴くのです。対話の中で彼女が、東京神田の呉服店の娘である事などのヒストリーを知るのです。彼女が、嬉しそうに自分の事を話すのを覚えています。
日々、対話をしていると、ある日、彼女がナースステーションまで「吉田さん」と尋ねてきたのです。いつもと同じ話の繰り返しでしたが、この日私は、娘さんの愚痴の時は、「年の功ってあるじゃない。miyokoさんが譲ってみれば、娘さんがびっくりするわよ。〝あら、お母さんどうしちゃったのかしら″なんてね。」と。顔が恥ずかしいと言った時は、「そうね、ムスッとしていると良くないわね。笑うとくしゃくしゃで可愛いわよ。私は大好きよ。」なんて、友達みたいにおしゃべりをしてみたのです。彼女は、顔をくしゃくしゃにして大声で笑って、「あなた上手に言うわね。落語家になればいいわよ。」だって(笑笑)
miyokoさんの体調が悪化した時、私は午後から研修でしたが、気になって19時過ぎに病棟へ戻りました。「miyokoさん、吉田さんは明日も来るから頑張って」と声をかけると、目を開けて小さく頷いてくれました。その数時間後に彼女は永眠しました。
退院して、7日後に娘さんが私を訪ねて来て、「母が最後に話をしたのが師長さんだと、夜勤の方から聞きました。最後に話をしたのが大好きな師長さんで、母は良かったと思います。有難うございました。」と挨拶してくれました。
彼女は、落語家のような〝吉田さん″の話を娘さんにしていたのでしょうか?
miyokoさん、私は今も落語家看護師ですよ。出逢えて良かった。
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落語家看護師
スタッフの今夢中