皆さん、こんにちは。病棟看護師の吉田です。
認知症症状の易怒性が激しくなり、家での生活が困難となった80才代女性のsetsukoさんは、長い年月の間、他院への入退院を繰り返していました。しだいに誤嚥性肺炎を繰り返すようにもなり当院に入院してきました。
入院当初のsetsukoさんは、全介助で車椅子に座り、食事とにらめっこをしていて、声をかけると更にお膳を遠くに押していました。長い会話はできず、簡単な声かけに短く返事をするだけで、ブツブツと独り言を話しているのでした。
setsukoさんの食事場所を、フロアで他の患者さんが食べているところから少しだけ離れたところにして、前を通ったスタッフがにっこり微笑んで食器を整えるようにしました。しだいに環境に慣れてきたsetsukoさんは、食事に集中できるようになり、他の患者さんの隣で食いしん坊なくらい食べ、「美味しいね」の声かけに「美味しいよ」と返してくれるようになったのです。
少しずつ表情が和らいできたsetsukoさんに、「お国はどちら?」と尋ねると「鹿児島」と返ってきました。郷里の生活や郷土料理などを尋ねてもなかなか話せないのですが、「鹿児島」だけははっきりと言うのです。スタッフたちはいつも尋ねるのではなく、「鹿児島はいいところですね」「私も鹿児島出身ですよ」と声をかけながら、保清や食事や車椅子の移乗のお世話を続けていました。また、「setsukoさんは、皆からなんて呼ばれていたの?せっちゃんかしら?」と尋ねると、「はい、せっちゃん」と応えてくれるので、多くのスタッフは「せっちゃん」と声をかけていました。
いつものようにKナースが食事のお世話をしていると、不意にsetsukoさんが、「あんたら優しすぎ」と言ったのです。Kナースは嬉しそうに私や他のスタッフへ伝えてくれました。その頃には、setsukoさんの鹿児島イントネーションの「ありがと」をよく聞くようになっていたのです。
あれから2年以上が経ちました。元気な時も身体が弱ってきたときもsetsukoさんらしい言葉と声を聴いてきました。いつまでもsetsukoさんの声は忘れません。

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