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「この病院に来てよかった、あなたに会えてよかった」と思ってもらえる看護を

看護師 北濱京子

 佐賀の出身です。まだ小学校に入る前に大好きな祖母が入院し、お見舞いに行くたびにそこで働く看護師さんがすごく優しかったのです。それで「私も大きくなったら看護師になりたい」と祖母に言ったら「私はなれなかったけど、本当は私も看護師になりたかったとよ」と言ってくれました。それで「よし、看護師になる!」って決めました。その目標どおり衛生看護科のある高校に進学。卒後は准看護師として佐世保の病院に就職し内科に配属されました。当時は夜間の看護学校がありましたから働きながら3年間通って看護師免許を取得しました。
 看護師になると外科に異動になりました。じつは外科には苦手意識をもっていたのですが、ストーマケアの看護をやってみると患者さんが劇的に変わっていく様子を見てすごくやりがいを感じました。東京まで勉強に行かせてもらってドクターや先輩ナースとともに治療に取り組みました。術前・術後の大きな変化が見られることに看護のスピード感、醍醐味を感じることができました。結婚を機に関西に引っ越し、出産後は託児所のある精神科の病院で1年、その後に夫の転勤で淡路島の病院で外科、脳外科、手術室など4年経験しました。

「看護師としてがんばることがお父さん孝行になるよ」の言葉に看護師を続ける決心を

 勤めていた病院が緩和ケア病棟を立ち上げるタイミングで私もターミナルケアの勉強を始めました。ところが1年くらいしたころ父親のステージ4の胃がんが発覚しました。父は自宅で治療したいとの希望でした。娘としては「少しでも長生きしてほしい」という気持ち、いっぽうで看護師としては「苦しい抗がん剤治療に耐えられるだろうか」という心配。2つの気持ちのあいだで揺れ動きました。両親、兄弟と家族会議をして、いったん仕事を辞めて故郷に戻って父親の世話をしようと決めかけました。そのときに友だちが「お父さんはあなたが元気で看護師の仕事を続けることがうれしいと思うよ」と言ってくれたのです。実際、父が検査入院をしたときに周りの看護師に「うちの娘も看護師ばしよっとよ。あんたたちもがんばりや」と声を掛けていたと聞いて「やっぱり私は看護師としてここでがんばろう。そして時間やりくりして顔を見せに行こう」と看護師を続けていく決心がつきました。その後、父は1年半、自宅で在宅治療を続け、最後の2日だけを病院で過ごし母親や私たち兄弟、孫たち、みんなに囲まれて穏やかに旅立つことができました。友だちや父を看てくれたくれた看護師さんたちの言葉がなければ私は看護師をやめていたかもしれません。

患者さんを“自分の家族だと思って”人生の大先輩方に学び、立ち会わせて頂きたい

 私はいろんな人に助けられて父親を見送ることができました。だから看護師としてはその感謝の気持ちを看護で還元したいと思っています。入院される方のみなさんが元気になって帰っていただけるわけではありません。病院で最期をお迎えになる患者さんにはできるだけ日常に近い形で、穏やかに、家族に看取っていただけるような看護をしたいと思っています。馴れ合いにならないように注意は必要ですが、“自分の家族”だと思って呼吸の状態や顔色などに気を配りながら声掛けやスキンシップを心掛けています。またご家族にもその様子をお知らせして面会に来ていただいたときには髪や身なりをきれいに整えて“大事な家族”に会っていただけるようにしています。病院で最期を迎える方は多くは“人生の大先輩”です。私たちもその生き方に学ぶこともあります。「この病院で良かった。あなたに会えて良かった」と思っていただきたい。そのお別れの場面に立ち会う看護師として感謝を込めて声を掛けたりスキンシップをすると、ふっと表情が緩むこともあります。患者さんとご家族にもそんな時間を持っていただけるように、自分ができることは何かをいつも考えています。